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普段私はペットを亡くされた方と
お話しする機会が多いのですが、
最期の瞬間に立ち会うことができなかったことを
後悔されている方がたくさんいらっしゃいます。
セッションの中でも
「一人で逝かせてしまったことを謝りたい」
と言われる方はとても多いです。
私も2年前、
実家にいるポパイの呼吸が遅くなってきているから
もうそろそろだと思う
と母から連絡を受けたとき、
どうしてもすぐに向かえる状況ではなく
「お願い!もう少しだけ待ってて!」
「どうか間に合いますように!!」
と祈っていたことを覚えています。
この時はなんとか間に合い、
看取る事ができましたが、
愛猫エリーの最期も
チワワのユニちゃんの最期も
看取る事ができなかった経験があります。
たった一人で
どんな気持ちで最期を迎えたのだろう?
と考えると申し訳ない気持ちで
胸が苦しくなりますし、
ユニちゃんんの時は突然死だったのですが、
家にいたのに気がつく事ができず、
違う部屋から戻ってきて
すでに息絶えている状態で、
どうしてすぐそばにいるのに
一緒に居なかったんだろう
どうして体調に気づかなかったのだろうと
自分に対しての怒りが込み上げてきました。
家族として過ごした子の最後は
ちゃんと腕の中で感謝の気持ちを伝えながら
見送ってあげたいなと思いますよね。
同じ経験をされ
同じように後悔されている方と
お仕事柄たくさん出会ってきて、
「ごめんね」の気持ちを動物たちに
伝えてきた中でわかったことがあります。
「弱ってる姿を見せたくなかったんだ」
「死に目に合わせたくなかったからいない時を選んだの」
「いる時に逝ったら泣かせちゃうでしょ?」
などと
敢えていない時を選んだんだ
と教えてくれる子がたくさんいるのです。
中にはそうではない子もいますが、
(我が家のユニちゃんも)
「ちゃんと看取って欲しかったよ」
悲しんでいる子には今のところ
出会っていません。
「待っていられなくてごめんね。」と
飼い主さん同様に申し訳なく思っている子が多いです。
余談ですが、ユニちゃんは
もともとドライなタイプなのですが、
亡くなったときに想いを伝えて謝罪をしたら
「別にいいよ〜どっちでも」
と言っていました😅
看取る側からしたら一大事ですが、
先に逝く側としては、
この先も寄り添えるし、
様子も見ていられるし、
なんならたまには
お家に帰ることだってできるし、
飼い主さんの膝の上で眠ることだってできる
失ってしまったと感じる私たち側に比べると
そこまで重要なことでは
ないのかもしれませんね